2020/12/10 13:11
お汁粉と善哉の違いをズバリ!と、答えられる人はどのくらいいるでしょうか。
正直、私は分かりませんでした。(汗)
色々と調べてみると簡単な見分け方がありました。
そして、餅つきと同様歴史も沢山ありました。
江戸時代(寛永)1635年の頃までさかのぼります。ちなみにこの頃の江戸幕府の将軍は徳永家光(三代目)となります。料理物語の一文に記されていた『すすりだんご』がすなわちお汁粉のルーツと言われています。
もち米60%うるち米40%で作られたお団子を、小豆の粉の汁でグツグツと煮たもので当時は甘いものではなく、塩によって味付けがされていたそうです。お酒のおつまみとして出されていた事もあったとか。当時はピッタリなおつまみだったんでしょうね。
-善哉の歴史-
一方、善哉の諸説は何点か見つかりました。
一つは、旧暦10月に島根県出雲市にある出雲大社で行われる神在祭(かみありさい)。
八百万の神々が7日間集まり農業の収穫や男女の縁結びなどを決める【神議り(かむはかり)】が執り行われています。ちなみに出雲に神々が集結していますので他県は神無月と言われます。そのお祭りで振舞われていたのが神在餅(じんざいもち)で、訛ってじんざいからぜんざいになったのではないかと言われています。
そしてもう一つは、一休さん(一休 宗純)が名付けた説。
一休さんが口にした際に、あまりにも美味しかった為に思わず『善き哉な』と言ったそうです。色々見るとお寺で出された汁ものだったり、弟子が作った汁物だったりと出どころは定かではないですがとにかく食べて言ったそうです。疑わしくなりますが、京都にある一休寺では平成17年より1月の最終日曜日を、一休善哉の日を年中行事として一椀の善哉をふるまっています。お寺が全面的に押しているので名付けの親として何故か納得がいってしまいますね。
色々と諸説がありますが、言い回しは今も標準語や関西弁などある様に、昔も言い回しは何種類かに別れていたと思います。
江戸時代は陸路や海路の流通網が整備され、各地方の生産物や魚介類が江戸の都心部に運ばれやすくなった為、恐らくグルメだったんじゃないかと思います。お汁粉・善哉が生み出された様にこの頃餅つきも生まれました。食を掘り下げた江戸時代はあっぱれであり、今現在も切っては切れないルーツであることは間違いないでしょう。
さて、本題であるお汁粉と善哉の違いを説明します。
-関東-
関東では汁気があるか無いかで分類されます。
・粒あんで作ったお汁粉(田舎汁粉or小倉汁粉)
・こしあんで作ったお汁粉(御膳汁粉)
汁気があるので両者とも呼び名はお汁粉です。
・餅や白玉に添えたあんこ
汁気が無いため呼び名はぜんざいです。
-関西-
関西で種類で分類されます。
汁気があり粒あんで作ったものなので呼び名は善哉です。
・こしあんで作ったお汁粉
汁気がありこしあんで作ったものなので呼び名はお汁粉です。・餅や白玉に添えたあんこ
汁気が無いため呼び名は亀山(かめやま)or金時(きんとき)です。
お分かりいただけましたでしょうか。見ても尚混乱する様でしたら一度自身で調理して食べてみると良いかもしれません。頭だけではなく目で見て味わう事で魅力に気づき自然と覚える事でしょう。
確かに同じモノなのに呼び名が沢山あると混乱しがちですが歴史が垣間見えて面白いですね。